大判例

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福岡高等裁判所 昭和39年(う)639号 判決 1965年9月17日

被告人 張[日景]根 外二名

主文

原判決を破棄する。

被告人張[日景]根を禁錮六月に処する。

被告人姜萬順、同李炳均を各禁錮四月に処する。

ただし、被告人三名に対しこの裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中第一審証人森田芳夫に支給した分は被告人三名の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、福岡地方検察庁検察官高橋孝名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人長崎祐三提出の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

原判決は、「被告人三名は、いずれも韓国に国籍を有する外国人であるが、第一、被告人三名は、共謀のうえ、被告人姜萬順および同李炳均において有効な旅券または船員手帳を所持していないのに、昭和三五年一一月一四日午後六時過頃韓国多太浦海岸から小型発動機船に乗船して出航し、翌一五日午後八時三〇分頃佐賀県東松浦郡玄海町大字今村トガリ崎海岸に到着して上陸し、もつて不法に本邦に入国し、第二、被告人張[日景]根は、同月一五日午後八時三〇分頃前記トガリ崎海岸において、旅券に上陸許可の証印を受けることなく上陸し、もつて不法に本邦に上陸したものである。」との公訴事実を証拠によつて認定したうえ、被告人三名の右各行為は、被告人張[日景]根の生命、身体、自由に対する現在の危難を避けるためやむことを得ないでした行為であつて、刑法第三七条第一項の緊急避難行為に当り、罪とならないとして、被告人三名に対し無罪の言渡をしたものであるが、検察官は、原判決には事実の誤認および法令適用の誤があると主張するので、当裁判所は、これに対し次のとおり判断する。

控訴趣意第二点について

所論は、(一)被告人張[日景]根には緊急避難の「危難」は存在していなかつた。原判決は、被告人張[日景]根が(1)特別裁判所において遡及処罰立法である「不正選挙関連者処罰法」により重刑に処せられること、(2)右遡及的重刑による処罰を前提とし「民主叛逆者に対する刑事々件臨時処理法」により保釈が取り消されて再収監されること、(3)右再収監や刑の執行のために自己の持病が悪化して生命の危険が生ずべきことを「危難」に当るとしている。しかしながら、国家存立の基本が法の支配にあることは何人も疑いを抱かないところであつて、権限に基づく国家の裁判権の行使に対しては国民はひとしくこれに服する義務があり、この義務を前提とすることによつてのみ近代国家はその存立を全うすることができるのである。したがつて、裁判権の行使によつて加えられるかも知れない生命、身体、自由に対する強制ないし被害は刑法第三七条第一項にいう「危難」に当らない。このことは国内裁判であると国外裁判であるとを問わないものというべきである。しかも、一国は、他国の法の有効、無効、当不当の実質的審査に立ち入るべきでなく、その判断は司法審査の範囲外におくべきである。そして、韓国における「不正選挙関連者処罰法」等の一連のいわゆる革命立法は、遡及処罰立法であるとしても、韓国々会の審議を経て可決公布されるべきものであつたことは明らかであるから、わが国の裁判所はこれを尊重しみだりに不当視すべきものではない。したがつて、右革命立法に基づく韓国の裁判権の行使によつて同国民が加えられるかも知れない生命、身体、自由に対する強制ないし被害に対しては同国民は当然忍受する義務があるのである。以上の理由により、韓国民である被告人張[日景]根が特別裁判所により不正選挙関連者処罰法違反として裁判されようとした事態は、緊急避難の「危難」に当らないことは明白である。(二)かりに、被告人張[日景]根が韓国において危難の事態にあつたとしても、それは「現在」の危難ではなかつた、というのである。

そこで、検討するに、本件において取り調べられた証拠によれば、昭和三五年三月に行われた韓国大統領副統領選挙の結果、李承晩が大統領に就任したが、その後勃発したいわゆる四月革命によつて李承晩政権が崩壊し、李承晩を党首とする自由党の党務委員兼政策委員長および正副統領選挙対策委員会企劃委員会委員であつた被告人張[日景]根は、同年五月二三日大統領副統領選挙法違反の嫌疑で逮捕収監され、ついで同法違反および前記選挙に関する虚偽公文書作成同行使被告事件により身柄拘束のまゝソウル地方法院に起訴され、同年七月一六日糖尿病、高血圧病のため保釈を許可され、ソウル大学病院において療養中も引き続き審理を受け、判決言渡期日は同年一〇月二五日と指定された。ところが、同月一一日に行われた四月革命関係者の革命特別立法要求デモに基づき、同月一三日「民主叛逆者に対する刑事々件臨時処理法」(特別法の制定まで前記選挙に関連した犯罪者等の裁判を中止し、拘束期間の延長、釈放者の再拘束ができることを規定する。)が公布施行されたため、同被告人に対する前記被告事件の公判手続は中止され、同月一七日には憲法改正法案(前記選挙に関連して不正行為をした者等を遡及的に処罰するための特別立法を制定する権限を国会に与え、右刑事々件を処理するため特別裁判所および特別検察部を置くことができること等を規定する。)の公告が行われ、右憲法改正法案が公告期間三〇日経過直後に成立することを予想して、民議院法制司法委員会がこれに応ずる各種特別法をこれに接着して成立させるよう起草することになつていたが、同月三一日同委員会が起草した特別法である「不正選挙関連者処罰法」案(前記選挙当時の大統領、国務委員、大統領秘書、自由党々務委員、自由党正副統領選挙対策委員会企劃委員会委員等で不正選挙の謀議または実施に関し主導的行為をした者は死刑無期または一〇年以上の懲役もしくは禁錮に処すること等が規定されている。)「特別裁判所および特別検察部組織法」案が新聞に報道された。そこで、同被告人は、右各特別法が成立したならば、保釈が取り消されて再収監され、特別裁判所において遡及処罰立法である「不正選挙関連者処罰法」により重刑に処せられることになり、特別裁判所の発足による再収監、刑の執行ということになれば自己の病状が悪化して生命の危険が生ずることになるので、これらの災難を避けるには国外に脱出するよりほかに途はないと考えるに至つた。そして、被告人三名は、共謀のうえ、同年一一月一二日夜密かにソウル大学病院を抜け出して、本件公訴事実のとおり同月一五日日本へ密入国したものであることを認めることができる。

ところで、近代国家においては遡及刑罰立法の禁止は憲法上基本的人権の一つとして確立されており、日本国憲法もこれを基本的人権の一つとして規定している。したがつて、前記認定の被告人張[日景]根が避けようとした遡及刑罰立法である「不正選挙関連者処罰法」による処罰は、わが国の主権の及ぶ領域内において同被告人の密入国行為を処罰するかどうかということを判断するに際しては、緊急避難の「危難」に当るものと解すべきである。そして、このように解することが韓国法令の司法審査をしたことになるとしても、遡及処罰立法の禁止が近代国家の基本的人権の一つとして確立されている以上、やむをえないものといわなければならない。論旨(一)は理由がない。

つぎに、右危難が「現在」の危難であつたかどうかについてみるに、この点については、すでに、最高裁判所は、本件の破棄差戻判決において、第一審および差戻前の第二審において取り調べた証拠によつて、被告人三名が日本へ密入国した昭和三五年一一月中旬頃は「不正選挙関連者処罰法」案、「特別裁判所および特別検察部組織法」案は漸くその内容が新聞に報道された程度であつたから、右危難は「現在」の危難と断定することはできず、被告人張[日景]根に対する「現在」の危難を肯認した差戻前の第二審判決には、証拠によらないで事実を認定した違法ないしは重大な事実誤認があると判断している。したがつて、当裁判所は、裁判所法第四条により、右最高裁判所の判断当時の証拠以外に、それだけで「現在」の危難を認めうるか、または右判断当時の証拠と総合して「現在」の危難を認めうる新たな証拠を発見できない限り、右最高裁判所の判断に拘束され、これに反する判断をすることはできないものである。そして、当裁判所は、事実の取調をしたが、遂に右のような新たな証拠を発見することができなかつた。そこで、被告人三名の本件公訴事実の各行為は、緊急避難の一要件である「現在」の危難という要件を欠いているので、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、緊急避難に当らず、被告人三名の右各行為を緊急避難に当るとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、原判決は破棄を免れず、論旨(二)は理由がある。

そこで、刑事訴訟法第三九六条、第四〇〇条但書により原判決を破棄し、さらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人三名は、いずれも韓国に国籍を有する外国人であるが、

第一  被告人三名は、共謀のうえ、被告人姜萬順および同李炳均において有効な旅券または船員手帳を所持していないのに、昭和三五年一一月一四日午後六時過頃韓国多太浦海岸から小型発動機船に乗船して出航し、翌一五日午前八時三〇分頃佐賀県東松浦郡玄海町大字今村トガリ崎海岸に到着して、不法に本邦に入国し、

第二  被告人張[日景]根は、同月一五日午後八時三〇分頃前記トガリ崎海岸において旅券に上陸許可の証印を受けることなく上陸して、不法に本邦に上陸し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人三名の判示第一の各行為は出入国管理令第七〇条第一号、第三条、刑法第六〇条に、被告人張[日景]根の判示第二の行為は出入国管理令第七〇条第二号、第九条第五項に該当するが、いずれも所定刑中禁錮刑を選択し、被告人張[日景]根根の判示第一、第二の各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条、第一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、各その刑期の範囲内において、被告人張[日景]根を禁錮六月に、被告人姜萬順、同李炳均を各禁錮四月に処し、諸般の情状を考慮し同法第二五条第一項により被告人三名に対しこの裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により訴訟費用中第一審証人森田芳夫に支給した分は被告人三名の連帯負担とすることとする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 塚本冨士男 中島武雄 矢頭直哉)

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